序/始めに
『演武の手引き』を作成し終えた当時、さらに「活人拳」の真義を明らかにしなければならないと考えるに到った。本論は1996年、『手引き1・2』を書き終えた後から、ポツリポツリと3年ほどかけて書き溜めていたものである。その後、FDを喪失し、2000年9月にスタートしたHP内の『私の主張』に加えられずにいたが、幸い(乱捕り問題が再燃しているこの時期、タイミング良く)発見できたので早速アップした。若干内容が古い(?)かもしれないが、改めて読み返してみると、現在、私が展開している論の原型となっていることが分かる。ただし一箇所、「書きたい放題」(2002年3月5日/(続)会報「少林寺拳法」を読んで! )で述べている如く、乱捕りの表現を「剛法の補助手段」から「剛法“組演武”の補助手段」に訂正した。この頃から間違っていたとは、お恥ずかしい限りである…。
私の中で少林寺拳法の結論的な意味を持って来たのが、この「不殺活人拳」であった。結論的な意味とは、少林寺拳法の根幹をなすべきものという意味であり、最近の「書きたい放題」と合わせて読んで頂ければ、一層その意味が理解出来ると思っている。(以上の序文は今回/2002.4.27に加筆した)。
■不殺活人拳と乱捕り
◇剛柔一体の技法を有する少林寺拳法は、相手のいかなる出方にも対応出来ることを可能としており、しかも、人体を傷つけない用法=不殺不害を理想とする。これは、少林寺拳法が“宗門の行たる拳”の立場から導き出されたものである。したがって、法形・演武の修練を行えば、思想と技法におよぶ不殺不害拳が身に付くはずである。しかし、過去、少林寺拳法が乱取りにおいて死亡事故を繰り返し、克復するのに長い年月を必要とした様に、簡単なようで簡単でない問題である。不殺活人拳を考える時、少林寺拳法においては、この乱取りが対極に位置して来た感があるが、中野益臣先生の乱取りに関するお話は興味深い。
「元々、少林寺拳法で乱取りにグロ-ブを着けたのは、相手に対するいたわりの心からであり、三日月を当てる最中に、多少拳が当たっても大丈夫な配慮からであった。ところが、大会が盛んになるにつれ、グロ-ブを着けたことが、逆に相手の顔面を思い切り叩いても良いという風潮に変わってしまった…」と言わる。また、「少林寺拳法の乱取りで、面を着けてまで顔面を蹴らない訳は、グロ-ブで守った胴を蹴ることは大変難しい。その一番難しいところを蹴ることが出来れば良いと考えたからなのである」(先生のお話の前提は、旧乱取り稽古の様式、すなわち、12オンスのグロ-ブとファイバ-制の胴を着用した乱取り)。
◇少林寺拳法における旧乱取り稽古を、功罪という観点から見れば、戦後の混乱期、正義の力の裏付けが大いに求められた社会状況下、あるいは、学生拳法の勃興期、新興勢力であった少林寺拳法が、他の武道系クラブに対抗する力の象徴としての乱取りの功は認めよう。しかし、こと競技乱取りとなると、競技の最中、対戦相手に「殺せ!」というヤジが飛び、ノックアウトがあれば歓声が上がり、甚だしきは、試合の最中、興奮した付き添い人同士が乱闘寸前までエスカレ-トする状態を呈するに及んで、その果たした役割は終わったと言える。開祖の教え=宗門の行たる拳に背を向けた学生大会に、開祖もまた背を向ける。ある年を境に学生大会に出席されなくなったのである。しかし、昭和48年、開祖の呼びかけに応じた全日本学生連盟は、過熱した全日本学生大会を中止し、学生拳法の再建へ向け討議を重ねる。そして、宗門の行たる拳への復帰を目指し、競技乱取りを廃止し、新生学生大会を行ったのである。その後、試行錯誤し現在に到っている
◇少林寺拳法では、開祖の存命中を含め、残念ながら乱取りの死亡事故が幾度か発生している。本山では、昭和56年の関西学生大会の死亡事故を機に、一次、二次、三次と乱取り検討委員会を召集し、事故の再発防止、修練方法の開発を目指し、継続して取り組んでいる。しかし、私はむしろ、乱取りと対極の位置にある“活人拳の考察”を、各時代の教範、昭和27年度版(復刻版)、30年度版、40年度版、48年度版、51年度版、54年度版と比較しながら試みたいと思うのである。なお、考察中、武道とあるのは主に徒手格闘技を前提とする。 また、『演武の手引き』同様、本論もひとつの見解であることをお断りしておく。
■不殺不害
◇不殺活人について初期の教範(昭和27年度版、及び30年度版)を見ると、不殺不害と言っている。きわめて具体的な表現である。このように、不殺活人には殺傷しないという具体的な技法を指す意味と、思想を指す意味がある。この場合、活人拳が分かりやすい。不殺に関して述べると、殺傷を出来る限り避ける具体的な技法は、制圧技、金剛拳を伴う拳技が最上位になろう。その際、使用される剛法技は柔術諸流の仮当てと同義の用法であり、制圧技の一部になる。打撃技についても、顔面部には正拳よりも掌底打ち、金的には前足底よりも甲蹴り、目には指頭よりもバラ手打ちという不殺不害拳としての攻防用器の使い分けがあり、部位については、鼻柱、口部、肋骨部などは骨折、裂傷し易いのでこれを避け、また、力加減も必要である。当然、最小の力で最大の効力を発揮させる為に、経絡秘孔=経穴の知識が求められる。さらに、逆技で関節を外したり、当て身で落としたりした場合に整復技術が求められる。しかし、闘争は避けるに越したことはない。
◇剣豪の逸話であるが、渡し舟の中で絡まれた相手を「では、話をつけようと!」と先に川洲に降ろし、さっさと、舟を出してしまったと云う話が伝わっている。真偽の程はともかく、もし、本当の切り合いになったとしても、このような騙しに合う者では実力の差は明らかであり、つまらぬ争いを避ける良例であろう。知略を用い、人間として本当に許せない場面でない限り、むやみに武技を使用すべきではない。それとて、次のような例がある。
■ある外国人武道家の悲劇
◇これは実際にあった話である。打撃系の武道を修行していた外国人青年が、夜間、路上の夫婦喧嘩に出くわし、女性が暴漢に襲われていると助けに入り、向かって来た男の顔面へ廻し蹴りを放ち、死亡させると云う事件があった。当時、「騎士道精神に基づいた正義の行為!」と話題になったが、裁判所の判断は過剰防衛の有罪(執行猶予がついたと思うが)であった。青年が武道の有段者であったこと、青年の体格がかなり優位であったこと、顔面部への廻し蹴りは危険技であること、などが過剰防衛と認定され、事件は双方に不幸な出来事となって結末した。今にして想えば、開祖は「相手の方が悪いのに、当て身で鼻血を出したり、ケガをさせたりした為に、自分の方が警察に引っ張られてしまうことがあるのだよ」と、上手な拳技と、下手な拳技の違いをよく注意されていた。強さに憧れる青少年を預かり、正義を説く指導者であればこその心配事だったのであろう。
■外国人青年の残した教訓
◇外国人青年のケ-スは、道場や試合場以外で“武技を実際に使う”という武道修行者の切実な問題について、貴重な教訓を残した。思うところを以下に述べると、
① 技と意識・無意識の問題。
② 技のコントロ-ルの問題。
③ 技を実際に使用する場合、例え正義の側であっても過剰防衛の問題が残る。
④ 相手を傷つけない具体的な技の問題。(次章で論ずる)。
⑤ 頭部、顔面部への当て身技の問題。
⑥ 正義を行使する具体的対処法を知らなければならない。
⑦ 正義の行為は時としておもわぬ代償を払う。
などが考えられる。これらについて不殺活人の立場から問題点を述べたい。なお、論点は各項目で重複する場合がある。
【技と意識・無意識について】
◇少林寺拳法では理性を魂=大脳新皮質、情動を魄=大脳古皮質とし、魂の心で魄の心をリ-ドするとするが、前者を意識、後者を無意識に置き換えることも可能である。武道の技はコントロ-ルを失った場合は即、凶器となる。否、通常、武道の技は“殺す”とまでは言わないが、人を“倒”す意識で練習される。つまり、凶器性と隣り合わせである。武道修行者はこの為に、強い自制心を育てなければならないが、日々の稽古・練習の内容が殺傷技か不殺技かにより、意識・無意識が受ける影響は異なることが予想される。例えば、相手を倒すというイメ-ジは武道修行者の間で同じではない。柔道、相撲、レスリングなどの組打ち系種目では、いわゆる“ノックアウト”ではない。文字通り“投げ倒す”ことである。それをノックアウトと認識するのは、拳法(少林寺拳法も含む)、空手、ボクシングなど、打撃系種目のものである。打撃系種目が倒すことをノックアウトと認識する以上、外国人青年の事件は対岸の火事ではない事を強調したい。この点において、少林寺拳法の拳士は活人拳が活人拳である為に、意識と無意識をつなぐ具体的な技術体系、修行体系をしっかり把握する事が重要な意味を持ってくる。
◇魂と魄は昭和40年度版の教範に《人の霊止たる我の認識》の中で初めて記述される。教育者、宗教者としての立場に立たれた開祖であるが、武道家としても、その重要性は充分認識されていたのであろう。すでに、昭和27年度版に“我”の字義を解説し、魂魄に相当するであろう、ふたつの心の存在に触れられている。少林寺拳法の思想と技法は、意識と無意識の関係を非常に考慮して構成され指導される。開祖は、「まず、形から入りなさい」と拳禅一如の教えを易しく説かれた。少林寺拳法の修行体系を解くカギがここにある。次項に箇条書きにしてみる。
◇少林寺拳法修行体系の特徴 ― 順序は必ずしもこのようでないであろう。
①少林寺拳法は“演武修練法の導入”により、楽しみを伴った武道となった。
↓
②楽しさは、より自発的な修行となる。
↓
③法形・演武の正しい稽古・不殺活人拳の修得と鎮魂行の繰り返しにより、拳士の心構え・体質が出来上がる。(法形・演武については『演武の手引き』を参考にされたい)。
↓
④開祖の教えに接する。修行手段と教えの整合性により、心に葛藤が生じない。
↓
⑤より高次の修行を目指す。
↓
⑥信念の確立→新たな布教に向かう。
以上であるが、③の〈法形・演武の正しい稽古と練習、鎮魂行の繰り返し〉は、無意識に働きかける一種の“洗脳教育”である。開祖は「儂は君等を洗脳しとるんだ。ただし、良い方にな!」と堂々と表明されていた。
④の〈修行手段と教えの整合性により、心に葛藤が生じない〉ことが、意識と無意識が同質の影響を受けることを示す。つまり、法形・演武の修行体系と、開祖の教えの整合性が大切な点である。不殺活人拳は③と④に大きく関与するが、少林寺拳法は嵩山少林寺に伝承された宗門の行たる拳を継承することによって、非常に明確に不殺活人拳を標榜出来るように至った。開祖の知見である。因みに、合気道の植芝盛平先生は“愛”を不殺不害の技法の思想的中心に据える。
◇私は、さらに、少林寺拳法は宗門の行たる拳を継承して、不殺不害であった時期(模索期)と、開祖の境地が不殺活人に至り、新たな宗門の行となった時期(到達期)に分けられると考える。この前提に立てば、教範の昭和30年度版前までは前期であり、昭和40年度版以後からは後期である。その間は中間期と見なせるが、昭和38年にカッパブックス『秘伝少林寺拳法』が発刊されるので、後期の線引きはかなり繰り上がると思われる。昭和48年度版で《15編第1章、組演武について》が追加して述べられる頃は、活人拳思想の完成期と言える。以後の改訂版では内容的に大きな変化はない。
前期と後期の違いは、後期では、法形・演武の修行体系の確立と、不殺不害が不殺活人となり、乱取りの定義も行われ、少林寺拳法の独自性が明確になるのである。これは、開祖が武道家から宗教者、教育者の境地も深められたと言うべきか、脱皮とも言うべき質的転換を成した事を示している。魂と魄、すなわち意識と無意識をこの時期に、しかも《武道とは何か》の章で、大脳生理学に基づいて述べられるのは大変興味深い。前期はこれらが混然としていて、個々に対する表現は散見するが、開祖の頭の中で、まだ体系だってないと思われる。
【技のコントロ-ルについて】
◇万が一、武技を使用せざるを得ない場面に出くわした時、不殺型は比較的、稽古通り対処・力を出せる。したがって、少林寺拳法の拳士は日々の修行において、人を倒すのではなく、制圧という意識を育てなければならない。もし、拳技の使用→倒す→ノックアウトと認識しているならば、それは多分、旧乱取り稽古の影響であり、海外青年の二の舞=過剰防衛が懸念される。ただし、急迫不正の程度により状況は異なろう。また、万が一の前提は武道人により様々であろうが、つまらぬ喧嘩は論外として、私は不正に出くわした時を想定してしまう。その意味で、海外青年の事件は同情的である。
少林寺拳法の乱取りが上段を蹴らない稽古法であったのは、路上での格闘という極めて異常事態に陥った場合、コントロ-ルしづらい蹴り技で、さらに無意識に上段を蹴り、不測の事態を招かない配慮であったのかとも思える。(もちろん、中段を蹴ることが100%安全とは言いがたい)。突きに関しても、少林寺拳法本来の乱取り稽古は三日月を狙い、力加減を前提として練習される。これも、格闘の際、無意識による顔面攻撃に対する損傷を、最小限に押さえる配慮からだったのであろう。
◇昭和40年、第一回の全国学生大会の個人乱取り決勝はKOで優勝者が決まっているが、開祖はその場で審判員を激しく叱責されたと云う。一般の打撃系の試合ではノックアウトは華麗である。しかし少林寺拳法はそれを求めないのを知るべきである。教範で乱取りの定義が《剛法組演武の補助手段》と述べられるのは昭和40年度版からであるが、少林寺拳法から大きくはずれてしまう乱捕り、特に学生の競技乱取りの扱いに、開祖は苦慮されたのであろう。この点、シ-ソ-関係を見るようである。すなわち、開祖の活人拳の境地が高まる程に、学生拳法は打倒拳へ向かったのである…。
私は今(筆者注:執筆当時)、開祖はこの状態を深い意味でとらえていたのではないかと考えている。乱取りの問題を組織の、あるいは自身の魂魄の投影としてとらえたのではなかろうか。創始された少林寺拳法に、思いもよらぬ両極の拳技が存在してしまった事実に、悪いから切れではなく、どちらも我が分身と考え、魂の心で魄の心をリ-ドするとした自らの教えに従ったのではある。すなわち、学生拳士に「君等のやっている事は違うぞ、何とかしろよ」と長期にわたり呼びかけ続けたのである。大会に出席されなくなった頃は、さすがに精根尽きかけたのであろう。昭和48年度の全日本・関東学生連盟の委員長は私である。私は道院出身(229期)であり、大学入学時には少拳士・二段であった。クラブは体育会系であったが、道院の影響、つまり、開祖が不殺活人拳の境地に至った以後(後期)の影響下で育った門下生である。新委員長になった3年次、「全日本学生大会を休止して、学生拳法がどうあるべきか皆で考えたらどうか!」と言われた開祖の呼びかけは自然に理解出来た。“競技乱取りの廃止。行たる少林寺拳法への復帰”は誰からの強制でもない、学生拳士の自発的意志によるものである。しかし、そこには、開祖自らの魂の発動が作用したのであろう。
【正義を行使する具体的対処法】
◇「武は二人の矛を止める」とは言え、実際の争いの仲裁となると大変難しい。私も拳法を修行してから何回か、見ず知らずの喧嘩を仲裁したことがある。修行僧時代、殴り合いの真っ最中の喧嘩を止めに入った事がある。優勢の側を羽交い締めにしたのであるが、肘打ちや、蹴りを防いでいるうちに不覚にも背負いに投げられた。受け身を取り、一字構えに構え、まさに私と始まる寸前、強力な仲裁人の一喝で止まった。興奮していた男は、制止しようとした仲間/拳士さえノックアウトしていた。後年、この経験が生きた。夕方、駅のプラトホ-ムで喧嘩していた男達を「やめろ!」と大声で止めた。また深夜、自宅近くの路上で激しい喧嘩を仲裁した時の事である。まず、ヤクザ者同士の喧嘩か、仲間も加わっているのか、凶器を持っているのか、自分が止められる程度の喧嘩かを素早く判断した。次に、多少優劣がはっきりするまで見守った。大柄の男が倒れた相手の顔面に蹴りを入れたその時、背後からスッと羽交い締めに駐車中の車に押しつけ、「もうやめなよ、これ以上やったら死んじゃうよ、あんた警察に捕まっちゃうよ」と静かに耳元で諭したのである。男は私を見ながら「すいません。もうやめます」と意外な程、素直な答えが返ってきて止めた。しかし、暴走族同士の喧嘩など、とても止めれないケ-スは警察に電話をするし、酔っぱらい同士の喧嘩など、止める気にならないケ-スは見物(?)もする。
◇少林寺拳法の拳士は「正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、平和を守る真の勇者たることを期す」とする信条を日々唱和し、「武の意義と武道の本質」の教育を受けるので、正義感や善意から、喧嘩の仲裁を買って出る拳士がいるかもしれない。だが、喧嘩の仲裁は難しいのを越えて、実は大変危険な行為である。高校生の時、同級生の父親が喧嘩の仲裁に入り、逆に刺されて死んでしまうという事件があった…。「ケンカの仲裁はやるな!」とは言わないが、自分の程度を越えていると判断した場合は警察に任せても恥ではなく、そうすべきである。万が一、制止した相手が向かって来ても(そのケ-スが一番危ないのであるが)、もともと恨みもつらみもない相手であるから、怪我や遺恨を残さないような対処をしなければならない。打撃技で対処するにしても、骨折、裂傷などの外傷を残してはならない。まして、相手が死ぬ程の加撃は慎むのが当然である。
◇以前、真っ昼間というのに、中学生同士の路上での取っ組み合いの喧嘩に遭遇したこともあった。片方の仲間が金属バットを手にしていたので〈これはいかん〉と駆けつけ、止めさせた。ところが、双方睨みあってなかなか引かない。もう、私の手に余ると警察に任せたが、仲裁の最中、私に突っかかって来た子供(という範疇ではないが)がいた。手は出さないので我慢したが、もし、手を出されたら、ビンタ風に張り倒し(?)、叱り飛ばす気でいた。しかし、そうならなくてよかった。後で分かったが、同じ町内の子供だったので、後々、気まずい思いをするところであった…。
禁煙を注意するにしても、使う言葉が大切である。「おい、こら!」式では相手も面子が立たず、場合により向かってくる。「禁煙ですよ」と柔らかく声を掛けるのである。それでもやめなければ、余程、人に迷惑を掛ければ別であるが、それ以上は深追いしない方が良い。以前、込み合った車内で、座っていた若い女の子の膝に汚いバッグを乗せるという、不埒な行為をする労務者風の男達に出くわした事がある。午後の車内であったが、回りの人は注意しない。女の子は泣きそうな顔をしている。立っていた私のほどない横であったので、「おじさん、荷物重いなら上に置いてあげるよ!」とバッグを棚に上げて微笑んだ。しばらく睨んでいたが、次の駅で降りて行った。私は殺気を返さずにいたが、もし、手を出されたら、このケ-スは傷害罪の現行犯で逮捕行為(?)に出る気構えでいた。
◇開祖の著書にある武勇伝は、全般に超人的ではなく、人間的で地味?である。『秘伝少林寺拳法』の車中の武勇伝など、ギリギリ我慢し、見るに見かねて声が出てしまった感じがする。しかし、ひとたび拳が唸れば、たちどころに制圧してしまうのは見事であり、あとの始末の付け方も活人拳のお手本を見るようで流石である。開祖は“武”について様々な実際的な話を聞かせてくれたが、その全てが試合の話ではなく、日常生活を営む上で、万が一遭遇した場合の不正、暴力、喧嘩の仲裁などの対処法であった。そして、いずれの場面に於いても、不殺活人の思想が貫かれていた。「乱取りと同じ様に顔を叩いてしまって、鼻血は出るは歯は折れるはで、もうワヤじゃ」は学生拳士に諭された、開祖が最も嫌った拳技である。
以上、多少の体験談を含んで述べたが、正義の行使にあたっては、不殺活人(この場合は不殺不害?)の技と心構えで対処するのが重要な事と思う。そして、武技を過信したり、決して無理を冒すべきではない。
【頭部、顔面部への当て身技の問題/当て身技の危険性】
◇最近は格闘技ブ-ムである。上段への廻し蹴りは当たり前、一部では素手による顔面突きさえ可とする競技大会がある。そのせいか、一般の人でさえ、頭部、顔面部への加撃を特別の事と思わない風潮である。しかし、それによって生じる事故の恐ろしさの認識は真に薄い。頭部、顔面部への直接打撃はプロ格闘家の、それも、試合上での話であり、一般的武道修行者の乱取り、試合などに導入すべきものではない。少林寺拳法ではこれに気が付くまでに長い年月と、尊い人命の損失があった…。ある空手の雑誌に、グロ-ブをつけて乱取りをしていて、パンチにより顔面を骨折をした青年の話が載っていた。入院中、様々な顔面骨折患者に遭遇した彼は、今では、「顔は壊れやすい陶器に見える」と言うような事を書いていた。
少林寺拳法でも、最近(筆者注:執筆当時)、次のような事故が起きている。支部長の留守に、高校生の級拳士同士、空乱を行った。よくある仲間同士のノリのやつである。身長差がだいぶあったそうだが、小柄の拳士が中段突きを突いた時、出会い頭に蹴りが顔に当たった。蹴った側も別段、上段を意識して狙った訳ではなく、軽い順の廻し蹴りであった。パチンと当たり、「痛テ-」となって乱取りは終わった。その後、痛み続けるので顔を冷やしながら家に帰ったが、タオルをとった顔を家族が見て、「お前、顔が崩れているよ」と仰天され、緊急入院したという。頬骨の骨折であったが、結局、二度の形成手術の末、後遺症も残らず現在は元気に復帰している。家族や相手との間も支部長の人柄もあり、円満に解決したが、紙一重の本当に恐い話である。
◇私は横浜市大医学部支部の監督をしている。浦舟町という場所に市大の救急医療センタ-があり、伊勢佐木町とか福富町とか繁華街の近くにある場所柄、喧嘩による被害者がよく担ぎ込まれるそうである。聞くと、顔面を殴られ、蹴られたひどい怪我を見るにつけ、顔はこんなに壊れるものかと医学生でもショックを受けると云う。頭部、顔面部の怪我で恐いことは、死に至りやすい部位はもちろんであるが、それと同時に後遺症が出やすい部位なのである。高校生の事故も、「視神経に後遺症が出なくて本当によかったですね」と口々に言う。医療関係者の拳士程、頭部、顔面部の当て身技の危険性を了解している拳士はいないであろう。少林寺拳法で整法が存在する理由のひとつが、人体の精巧さに気が付かせることにあるのだと了解出来る。「君達は勉強しろ。大切な頭をボカスカ殴り合う為に少林寺拳法を教えているのではない」と開祖は学生拳士によく説教されていたが、一発頭部を叩かれると、何万かの脳細胞が死ぬ(?)のだそうである。
◇頭部、顔面部への打撃の危険性について論じてきたが、全日本空手道連盟の面の導入には敬意を払う。面を付けてさらに寸止めするところが素晴らしい。反則技(面を軽く突いても)に対しても大変厳しい。武技的に見て不自然さはあろう。しかし、体育・スポ-ツという立場から見れば、殺傷技だからこそ最善の安全を図るのは道理にかなっている。武道から体育・スポ-ツへの転換とは言え、導入のコンセプトが人体への安全の配慮である点、非常に共鳴出来る。さらに、寸止めは無意識に対し、殺傷技を自制する大きな要因となる。
◇現在、少林寺拳法では当てても人体へ影響のない安全な防具を開発している。金的カバ-は完成し、法形、乱取りなどの稽古でも実際に蹴れるようになった。だが、少年部を指導していて気が付くが、ふざけ合いでも無意識に足が出る。私は、いつ頃からか、少年部の金的蹴りの稽古・練習には積極的でなくなり、殆ど行わなくなった。彼等の無意識への影響を恐れたのである。ただし、女子の護身、または、金的を攻撃された場合を考えれば、攻防の技を全く練習しないわけではない。しかし、法形については防具なしの寸止め、乱取りについては防具は付けるが技として金的は当てさせない。金的は壊れやすい部位であり、生殖にからんだ重大な機能障害が起きる。上段廻し蹴りに匹敵する程の危険技であることを認識させなければならない。その為の寸止めである。
面も開発されたが、上段を思い切り突くことは出来ても(筆者注:現在完成したフェイスガードや金的カバーは、当て止め用ということである…)、頚部の安全はどうであろうか。また、当てる事による攻防技の有効性を指導することは大切であるが、攻技、ないし反撃技の結果を教えることも大切であろう。原爆の正当性を唱えるアメリカ人でさえ、悲惨な被爆写真を見ると言葉を失う。問題を同等に論じられないにせよ、もし金的を思い切り蹴り、上段を全力で突くのであれば、それによる結果、例えば、顔面骨折写真や睾丸破裂写真を見せるなど、なんらかの抑制心を与える必要があろう。
少林寺拳法は制圧技を最上位に置き、これを理想とする。つまり、不殺活人拳の立場から法形・演武そして乱取を考えることが重要と考える。人間の一番弱い部分である顔面や金的を全力打撃する稽古法を、無意識はどう受け止めるか。この点を考慮せねばならぬであろう。なお、面部に対する突き技は、不殺活人拳の具体的技法に反している。これについてはいずれ述べたいと思う。
■考察編のまとめ
◇武道を人格形成の手段として考えるとしても、殺傷技を手段とするのか、不殺技を手段とするのかで、方法論や体系が異なるであろうとはすでに述べた。武術と一線を画する武道の定義は多々述べられているが、教育の立場から論ずれば、“生命を尊重する精神が育つ”方法論や体系でなければならない。これは、殺傷技の側からすると、殺から入って不殺に至る思考形態の逆転を意味する。少林寺拳法は、武道人が最終到達するであろう境地を、最初から学んで行くところが興味深い。しかし、気を付けないと落とし穴がある。不殺活人を標榜しながら必殺打倒の方向へ向かってしまう危険である。それは、殺から入って不殺に至らずと同様であり、そこには生命を尊重する精神は育たない。したがって、少林寺拳法における不殺活人拳とは、次のように定義出来る。
「生命の尊重を具現した技法であり、少林寺拳法修行の目標である自己確立、自他共楽、理想郷建設の基礎となる教えである。」
生命の尊重は、全世界、全人類が共通して求める大徳目である。修行の道程をここに結ぶ為、私達拳士は不殺活人拳を正しく理解し、習得しなければならない。ただし、これは、武道人が命がけで得た境地と技である。非常に高度な哲学と技法であり、習得には長い年月がかかる。少林寺拳法は養行と言えども、怠らず励まなければならない。
以上、本論と『演武の手引き』を前提として、次回から具体的な技法の解説を試みる((筆者注:HP内「道院長の書きたい放題」で一部開始)。しかし、技法についは秘密厳守、六百数十という膨大な範囲、論述者の力量などの問題もあり、到底すべては扱いきれないので、不殺活人拳の重要な基となる技法の考察に止たい。なお、③の「過剰防衛の問題」と、⑦の「正義の行為は時として思わぬ代償を払う」については各項目で述べたと思うので省略する。以上をもって考察編を終了する。