3月19日の日曜日、神奈川の審判講習会場。都内○大の監督をしている○さんから聞いた話。 ○大が主催する大会に10校程が参加し、旧乱捕り形式(胴、グローブを着用して顔面を加撃)の大会を7~8年前から行っているという。まず、本部へ連絡し、同時に事実の確認をお願いした。事実であった。まことに遺憾であり、且つ人命が関わる問題なので意見を述べたい。ただし、意見は乱捕りの事故に主眼を置き 、一般的な是非論には触れない。
私は過去、学生拳士6人の不慮の事故に遭遇し、4回の葬儀に出席している。内、乱捕りの死亡事故に関しては2回である。他の死亡事故、公にされない重大な手術、入院事故も多々知っている。それぞれの事故現場には、言葉では言い表せない悲しみと混乱がある。
1973年東海学生新人大会の事故。危篤状態に陥ったある学生拳士の母親は「私の子供を殺した奴を出せ!そいつを殺して私も死ぬ!」と病院で泣き叫んだという。「お母さん…、そういうんだ…」。直接それを聞いた東海学生連盟委員長のI君は、駆けつけた私に泣きながら語った。主催者は皆、二十歳そこそこの学生で、何をどうしてよいか分からず茫然自失としていた。今でも忘れられない光景である。
1981年関西学生大会の死亡事故。病院にはOB達も駆けつけていた。同期の関西学生連盟委員長のI君がその中にいた。「うちの後輩なんだ…」。悲痛な声で言った。「うちは死亡事故が2度目なんだ。お祓いしてもらわないといかんかな」。他のOBの言葉が妙に印象に残っている。
27年前、競技乱捕りが廃止になり、本部・学生連盟は乱捕りの模索期に入る。その間、2件の死亡事故が発生するが、不気味な共通点がある。旧乱捕り形式復活の兆しがある矢先に、死亡事故が起きるのである。関西学生大会の死亡事故しかり(同年の全国学生大会中止)。1988年S大の死亡事故しかりである。特に、S大の事故は合宿中の練習事故で、これにより、指導者不在の末端支部に顔面加撃の危険が波及して行くことが分かった。
S大の学生の葬儀に出席した折、私は涙が止まらなかった。実は、事故の数ヶ月前に行われた道院長、支部長講習会の感想文に、現会長宛として「…このまま乱捕り(復活の傾向)を放置していては危ない。必ず死亡事故がおきる…」と傍線を引いて警告していたからである。やるせない気持ちで遺影に頭をたれた翌年、第三次乱捕り検討委員会のメンバーに任命された。私は、これまでに失われた尊い命を想いながら、次の一点だけは絶対に通そうと検討会議に臨んだ。すなわち、少林寺拳法の乱捕りにおける顔面直接打撃の全面禁止である。2年間の討議の末、答申書にこの条項が盛り込まれた。
現在、本部により、少林寺拳法の在り方、安全面を考慮した乱捕りの研究開発が進行中である。そこで、言いたい。旧乱捕り形式は、これまでの犠牲の積み重ねにより禁止になったものである。何故、同じ過ちを繰り返そうとするのか。何故、理解しようとしないのか。事故ばかりを強調したくはないが、起こってからでは遅すぎるのである。
警告する。前述した不気味な前兆を感じている。関係者は即刻改善の方向に動いてもらいたい。今度もし、死亡、ないし重大な事故が発生すれば、もはや不可抗力の事故では済まされない。社会的責任を問われるであろう…。大学拳法部監督の立場からも言う。学生拳士の安全を最上位に考えてもらいたい。切にお願いする次第である。
最後に、本部に慰霊碑の建立、ないし慰霊の日をもうけるべきではなかろうか。50年史を見ると、ある連盟やある支部に、死亡事故に触れていないところがある。また、亡くなった拳士の名を冠したカップを設けている連盟もある。
各々が反省するのではなく、本部・全拳士の負の遺産として、人命を失った反省を後世の拳士に伝えるべきである。
以上
本件は現在(2000年9月)、関係者により改善の方向に動いているとのことです。
投稿の意図は、事故の悲惨さを知ってもらいたかったのと、再発は許さない覚悟を示す為でした…。
尚、9月29日更新以前の本文に二箇所の誤記がありましたので、現在は以下に訂正しています。
3行目、「胴、グローブを着用しないで顔面加撃」を“着用して”に訂正しています。5行目、「人名」は“人命”の誤りでした。また、一部固有名詞のアルファベットを丸に変えました。
以上、お詫びして訂正させて頂きます。