Ⅰ分類編
始めに
演武は私達少林寺拳法の拳士にとって、大切な修行法である。しかし、大会などで一生懸命行っているにもかかわらず、殺陣の様な演武を見ることがある。“殺陣の様な演武”とはどのようなことを指すかと言うと、武道の経験などまるでない俳優が、劇や映画の闘争シ-ンを達人の如く演じる演技を指す。つまり、演武は法形の演錬や理解なしでも、受け手が上手に投げられたり打たれたりすれば、誰にでも演じられる可能性があると言える。もちろん、それは演武擬きであって本当の演武ではない。しかし、我々にとって多少のショックとなる。それでは、少林寺拳法の本当の演武とはどういうことであろうか。
開祖は演武を音符と作曲に例えられて説明された。仮に作曲に例えるなら、そこにも基本形や法則があろう。音階が五線に沿って上がって行けば、人の気持ちは明るく朗らかになり、人の鼓動よりゆっくりしたテンポの曲は、気持ちをリラックスさせるといわれる。作曲家がこれらのことを無視するはずがない。従来は音符を法形、作曲を演武とした漠然とした理解に止まってきた感があるが、今回、《演武の手引き》においては、作曲にあたる演武の表現や構成とは何かを、より具体的に分類・考察するよう試みる。その過程において、いわゆる演舞や殺陣と区別される演武を理解し、少林寺拳法を修行する誇りと喜びを感じ得れば幸いである。ただし、演武の分類・考察は徒手二人組演武のみを対象とし、場合により分類項目間で重複する。また、法形の分類・考察についても一部言及を試みる。尚、「手引き」はひとつの見解であり、絶対的なものではない。そして、当然であるが、演武の在り方については教範第15編、第1章「組演武について」に勝るものはないことをお断りしておく。各自、味読されたい。
■分類1
この分類1を認識することは、演武の表現に必要であると考える。6項目とも、演武開始時の攻者と守者が演武終了の状態であるのを基準とする。
① 守者制圧型
② 攻者制圧型
③ 守者優位型
④ 攻者優位型
⑤ 守者反撃型
⑥ 攻者反撃型(攻守反転型)
①守者制圧型
柔法系、剛柔一体系の法形で構成する金剛拳の固めが必須の演武である。思想と技法両面の特徴である守主攻従、不殺活人拳をよく表現した少林寺拳法演武の理想形である。
②攻者制圧型
捕技・仕掛けの法形で構成する金剛拳の固めが必須の演武である。また、演武の構成上、攻者が制圧する場合もある。
例1:攻者は蹴り天三、守者の蹴り返しを受け。続いて守者反撃の上段逆突きを押閂投げ、固め、当て身、残心で攻守が反転し、攻者制圧型となる。
③守者優位型
守者が倒す、投げる、蹴り放す、刈り倒す、突き放す法形で構成する演武である。投げ放したり、投げた直後に固めを用いず、当て身で処理され格闘性の強い印象となる。
* 特に制圧後もそうであるが、頚部への足刀など、相手を殺傷しかねない当て身は不殺活人拳に反する。仮に重傷を負わせることを厭わないのなら、始めから武器を用いた方が有効である。その武器でさえ、少林寺拳法では法器と呼び、相手をぎりぎり殺傷しない如意、釈杖、半棒、独鈷までである。つまり刃物を用いず、生命を尊重し、素手の延長線上に武器を考え宗門の行たる本質を表わしている。
開祖は特殊警棒を携えながら「…儂がこれを使うならこんなところ(頭部)は叩かんよ。ここを叩くんだ」と肘を叩かれ、「頭をこんなもので叩いたら大変なことになる…」と、その使い方をご教授して下さったことがある。
相手に「参った」と言わせ、改心させる余裕、“愛撫統一”が宗門の行者としての武技用法の理想であろう。徒手空拳である少林寺拳法の技法を修行する意味をよく考え、演武における迫力と殺気を勘違いしてはならない。
④攻者優位型
攻者が倒す、投げる、蹴り放す、刈り倒す、突き放す法形で構成する演武である。仕掛け技においても、送り独楽投げなどは優位型である。
⑤守者反撃型
龍王拳系や剛法系の法形で構成する演武である。守主攻従の術理と立場を端的に表現する。ただし、剛法系においても蹴り天一、蹴り天三より虎倒し、半月返し掬い首投げ、千鳥返し刈り足、水月返し突き倒しなどの法形は剛柔一体系である優位型に分類する。また、挟み倒し、伏虎倒し、縛法、圧法(仏骨投げなどもあるが…)などの法形や技法は、《手引き》では特殊型と考える。
⑥攻者反撃型(攻守反転型)
攻者が反撃・制圧する法形で構成する演武である。義和拳第一などの法形が分かりやすい。義和拳は攻者が反撃する形、攻守反転型であるが、最終、守者が蹴り返せば守者反撃型になる。分類にこだわれば、小手抜きの守者中段突きまでは守者反撃型であり、さらに守者上段突き、中段蹴り、攻者蹴り返しまで続くと攻者反撃型となる。柔法系ならば天秤を捕られた側が、蹴りを防いで巻き込み小手で投げ返すなどの演武である。反転型を取り入れると攻守のありようは複雑になる。<しかし、巧くこなせば演武に妙味が発揮出来る。>
* 攻守が反転する演武については改めて触れたい。2000年10月現在では、攻守反転型と当て身で処理する演武は好ましくないと考えるに至った。したがって、本改定板ではカッコのようには結ばない。
■分類2
攻守を交換するという立場からの分類である。
① 攻守交換型
② 不交換型
①攻守交換型
お互いが攻守を交代して行う。ただし、ひとつの構成が終了した状態を攻者守者とするか、ひとつの構成の始まりの状態を攻者守者とするかで見解が異なる。前述した通り、反転型が入ると攻守のありようは複雑になるが、守主攻従の理念を表現しようとすれば、開始時の状態の攻者守者を優先した方が良いであろう。
* ひとつの構成とは演武の区切りである。ひとつの演武の攻撃から残心までを指す。演武においては必ず残心を行い、区切りを示さなければならない。そして、次の演武開始時には必ず攻防の気の交換を行うのである。日本武道館主催の武道祭(1972年)における中野先生と三崎先生の演武は、実際にも見ているしビデオでも検証しているが、攻防の気の交換が見事であり、お手本といえる。
②不交換型
攻守の交換にあまり制約されない。しかし、制圧者が一方のみに偏るのは少林寺拳法では不自然である。開祖は少林寺拳法の演武と合気道の演武を比較して、「少林寺拳法の演武は片方が一方的にやられるものではない(優劣を論じられたのではなかろう)」と述べられているので、攻守交換は少林寺拳法演武の大きな特徴である。不交換型は条件付き演武、女子・少年護身の形などとして行われるが、特殊であるので分類からは除外する。
■分類3
演武構成上の単位の分類である。
① 単型
② 単一型
③ 複数型
④ 複合型
①単型
上段突きに内受け、回し蹴りに払い受け、振り突きに屈身受けなどの基本相対形である。上中突きに同時受け、段蹴りに三防受けなどの連、段の形も同様である。剛法を例にとれば、反撃を伴わない基本相対形である。単型はこれのみでは演武構成として成立しないが、法形と法形をつなぐ場合(開き構えを対構えにしたり、対構えを開き構えにする)などに用いられる。また、既存の法形を単型に分解することによって応用形となる。例2は、天地拳第一の反撃の蹴りを省き、剛柔一体形の演武構成となっている。
例2:攻者は天地拳第一の攻技、上中鈎突きを行い、さらに手刀打ちの4連攻。守者は上受け投げをして固め、当て身、残心。
②単一型
単一法形のみの演武である。ただし、剛柔一体形や龍王拳は複数法形(小手投げと下受け蹴り、小手抜きと中段突き)によって成り立つ単一法形と見なせる。単型と単一型の違いは、天地拳第一などは単撃で行えば単形の組み合わせであり、二連撃で行えば単形と単一形の組み合わせ(同時受けの単形と、払い受け蹴りの単一形)になる。前述したが、剛法では攻防の単形に反撃が加わったものが法形であると言える。
③複数型
二法形以上の組み合わせによる演武である。
④複合型
剛法系と剛柔一体系、柔法系と剛法系、柔法系と剛柔一体系の組み合わせによる演武であり、複数型と重複する。同じ様でも、剛法系が先で柔法系・龍王拳系が後では間が悪い。これについては分類4の⑦で述べる。
■分類4
分類3を具体的に述べたもの。単型は除外。なお、剛法は胴を着用する場合がある。
① 剛法単一型
② 剛法複数型
③ 柔法単一型
④ 柔法複数型
⑤ 剛柔一体単一型
⑥ 剛柔一体複数型
⑦ 剛柔複合型
①剛法単一型
剛法の単一法形で構成される演武であるが、さらに三つに分けられる。
a 内受け突きなど、単撃による完全な単一型。
b 蹴り天三など、連撃による単一型。
c 単型の連攻が加わっている単一型。
cについては、上受け突きに熊手突きを加える連攻、あるいは白連拳に中段突きを加える連攻がある。通常拳士はこれらを一つの単一法形と認識している。単一型を主に演武を構成するのは初級者、少年、老壮年か、逆に術理を表現出来る相当な高段者であろう。
②剛法複数型
二つ以上の剛法単一法形で構成される演武である。
③柔法単一型
柔法の単一法形で構成される演武である。柔法技にはほとんど当て身が併用されるので、柔法は本来剛柔一体形である。しかし、分類においては龍王拳系、龍華拳系、羅漢拳系、捕技系は柔法の単一型とする。
④柔法複数型
二つ以上の柔法単一法形で構成される演武である。
例3:攻者は守者を引き天秤捕り。守者が起きあがろうとするところを押さえ閂投げ、固め、当て身、残心。
* 捕技の場合は攻者守者というよりは、犯人・被制圧者と捕技者・制圧者の認識であろうか。
⑤剛柔一体単一型
剛柔一体系の単一法形で構成される演武であり、制圧型と優位型に重複する。また前述した通り、蹴り天一、蹴り天三より虎倒し、半月返し掬い首投げ、千鳥返し刈り足、水月返し突き倒しなどの法形は剛柔一体型に分類する。
⑥剛柔一体複数型
二つ以上の剛柔一体系の法形で構成される演武である。
例4:守者は攻者の振り突きを外押し受け突きから一本背投げ。攻者は大車輪より諸手巻き抜き連反攻の突き蹴り。守者はその蹴りを蹴り天一で投げて残心。
⑦剛柔複合型
二つ以上の剛法系と柔法系の法形の組み合わせによって構成される演武である。柔法系と剛法系か剛柔一体系、剛法系と剛柔一体系の組み合わせが判りやすい。ただし前述したが、剛法単一系が先で柔法単一系・龍王拳が後では複合しにくいようである。その理由は、ひとつには間の問題と、もうひとつには構成上の整合性にある。
例5:柔法系と剛柔一体系(剛法系も含む)
守者は小手抜きから裏拳中段突、さらに上段逆突き逆蹴り。攻者の蹴り返しから振り突きを屈身、返し振り突きを天秤投げ。
例6:剛法系と剛柔一体系
守者は攻者の突きを上受け蹴りから蹴り天三の反撃。攻者は蹴り返しからさらに逆の回し蹴りと裏拳打ち込み。守者は上受け投げして固め、当て身、残心。
例7:整合し辛い例
攻者は逆突き。守者は内受け突きから攻者の突き手を受けた手で掴む。攻者その手を十字抜き連反攻。
例8:整合し辛い例
攻者は蹴り天三。守者は反撃の蹴りの後、攻者の手を握る。攻者それを巻き小手で投げ、固め、当て身、残心。
* 間について考えると、間には時間的な間合いと空間的な間合いがある。これに心的作用と技術的作用が働き、早い、遅い、近い、遠いなどが決定される。心に恐れがあれば間合いは遠く、動作が遅れる。心がはやれば間合いは近く、待つことが出来ない。技術的に稚拙であれば動作が遅く、いかなる間合いでも先を取られる。心技体が充実すれば間と間合いが自在になり、先の先、対の先、後の先、気の先とあらゆる先を制するであろう。武道人の理想の境地である。
少林寺拳法の演武においては、間と間合いは動と静と相まってそれぞれのレベルに応じた大切な習得課目となる。剛法単一系と柔法単一系は間をおけば問題ないが、それでは複合型と言えない。複合型、複数型とは演武中、間があかない一構成上で行われることが原則である。
* 構成上の整合性とは、格闘場面を想定すれば何が起きるか分からないとは言え、あまりに必然性がない法形の組み合せの演武や、あまりに難解過ぎる組み合わせの演武である。特に、剛法単一系と柔法単一系の組合せは注意を要する。また、この組合せに限らず、難解な構成は殺陣と隣り合わせである。
突き手を掴まれる形は、五花拳において現出(実際には掛け手)するが、法形としての龍王拳はそのような状況設定ではないようであり、例8の龍華拳においても同様である。
* 構成上の整合性について、もうひとつ。あまりに多い法形を組合せる演武も整合性がない。力(威力)が途切れない範囲で組み合わせる。力を発揮出来る数は個人差(体力差)にもよるが、ひとつの流れで3~4形迄であろう。単型が入っても5~6形が限度であろうが、おそらく10発を越える手数になる。威力と精度を考えると相当な体力がいる。法形数の多い構成も殺陣と隣り合わせである。
例9:攻者は天地拳第二の蹴り返し後、ただちに逆の蹴りから蹴り天三。さらに守者の蹴り返しからの振り突きを屈身突き、逆の裏拳打ちきを上受け投げ、固め、当て身、残心。
これで攻者の手数は突き8、蹴り3になる。特に、天地拳第二相対形は単型と二法形からなる複数形で、突き5、蹴り1と消耗が多い。演武を構成する際には威力と精度からの注意も必要である。
■分類5
演武の種類における分類で、各項目ごとに重複する。
①拳名型
②学習型
③自由型
④護身型
⑤修養型
⑥発表型
⑦競技型
⑧特殊型
⑨衆敵型
⑩法器型
①拳名型
厳密に分類すればかなりの範囲になるので、主旨を述べて省略する。龍王拳を主体にしたり、五花拳、白連拳、天王拳、羅漢拳などそれぞれに特徴ある拳を主に構成される演武である。居捕りの演武なども拳名型の特殊型になろう。
拳名に従って演武を行う際、注意しなければならないことを述べる。五花拳系統、龍花拳系統、羅漢拳系統など逆技系、投げ技系を主体にすると、特に競技になると無理をするので体を壊すということである。他にも体を壊すことが考えられケ-スをいくつか挙げると、
a 腰痛、股関節痛
柔軟性のない者に蹴りを多用する演武を行わせれば腰痛、股関節痛を発症させる。
b 関節炎、剥離骨折
靭帯の弱い、緩い者、当然筋力も弱い者に逆技を多用する演武を行わせれば関節炎、剥離骨折を発症させる。
c 膝関節炎
居捕りの演武は膝関節の使用過多による関節炎を発症させる。
d 婦人科系疾患
女子が投げ技を多用する演武を行えば、腰臀部の慢性打撲による腰痛や生理不順などの婦人科系の疾患を発症させる。男子と女子との筋力差や競技場が板である点をくれぐれも考慮すべきである。
e 肝機能・内臓障害
内受け突きなどを使用する演武を毎回練習し、殆どが左中段構えから行うであろうが、迫力にこだわり寸止めしなければ、右腹部に連続的な打撲を受け肝機能に影響を及ぼす。
などの障害が予想される。本人の気質、支部の体質にもよるが、少林寺拳法修行の基本は養行であり、競技スポ-ツはいかなる種目といえども健康増進につながらないものと理解し、健康管理に注意して取り組まなければなければならない。競技を離れ、各人が無理ない拳名型の演武を行うことは、自他共に上達を楽しむ少林寺拳法修行の本流である。また、拳名型は学習型と重複し、様々な用法が考えられる。
例11:攻者、腕十字から固め残心、攻者同一の握りに守者小手抜き連反攻、攻者再度同一の握りに守者逆小手から固め残心。
例12:攻者B、蛇突き、逆蹴りの金的蹴りから蹴り天三、守者Aの蹴り返しからの振り突きを、Bが屈身突き蹴りして残心。
例11は捕技から龍王拳、龍花拳の流れを演武で学習させる。また、例12は大柄な拳士Aと小柄な拳士B、共に中拳士三段の組演武実例。AとBの身長差が問題である。小の奇襲攻撃、大の強引な攻撃というテ-マを学習する。剛法では地王拳と仁王拳の組合せを主体とする。
②学習型
阿羅漢系演武、那羅延系演武のことである。法形では天地拳第一、第二などもそうである。武道の型は流派の精神を表したり、門下生を育成したり、秘伝を伝えるなどの目的があり、法形を組み合わせる演武も当然、同様な目的を含む。部分演武(注)という考えを導入し、技の意味を習得する為に、苦手を克服する為に、身体操作を円滑にする為に、日々の修行を楽しくする為に、法形と共に活用することを提唱する。
注:ひとつの法形、攻防、基本技をテ-マとして、演武にして学ばせる。
例えば、仁王拳・逆突きをテ-マにすれば、攻者上段逆突き、守者上受け蹴り、続いて逆の蹴り返しから逆突き、攻者内受け突きして残心。このような小構成の演武を練習に取り入れる。
③自由型
拳名型、学習型とは正反対に自由に法形を組み合わせる演武である。初級者から上級者まで演武修行は楽しいものであるが、『手引き』で述べていることをよく理解して組み合わせ、少林寺拳法を表現して欲しい。
④護身型
女子対男子、少年少女対成人などの組み合わせにより、護身の要素が高い法形を組み合わせて護身術を表現する演武である。不交換型と重複する。
⑤修養型
親子演武、幼年演武、一般拳士における老壮年演武に代表される和気あいあいと言うべきか、上手下手にこだわらず、演武をする事自体が修養を表現する。
⑥発表型
演武はすべて発表を前提としているが、本分類では競技会と異なる場において観衆、ないし拳士の前で行う演武とする。何事によらず人前で発表することは会場の大小を問わず緊張、真剣、比較、批評の要素が加わり大変良いことである。特別な目的を持つデモンストレ-ションには、多少派手な演武構成も許されるであろうし、武的要素を前面に出すこともあろう。ある大学支部で新入生勧誘の演武を行った際、“迫力”の意識過剰で突きが顔面に入り、鼻血を出しながらの凄惨な演武となり、お陰でその年は例年になく新入部員が少なかったという、笑えないような本当の話が伝わっている。デモンストレ-ションを意図した発表型は、失敗には充分注意しなければならない。
⑦競技型
大会・競技場で行う為に構成される演武であり、団体演武、最近では単独演武さえ見ることがある。競技型は発表型と異なり、時間の制限、技の制限、資格の制限、所属の制限などがある。近年は競技大会がいたる所で開催されるが、演武の本質を見失っていないであろうか。採点方式、審判の資質、表彰方式、演武の質、参加支部拳士の意識など、少林寺拳法の財産である演武が正しく育つ土壌を常に考えて競技大会を行うべきである。そして、精神的にも肉体的にも無理は絶対禁物である。
⑧特殊型
特殊の基本技、法形を主として組まれる演武である。特殊型については二通りの考え方がある。ひとつは、とんぼ返りなどの特殊な基本形を用いる演武。もうひとつは特殊な法形、例えば、圧法、挟み倒し、縛法(はないであろう)などの技法を用いる演武である。居捕り演武は特殊型に分類されよう。“飛龍拳”という演武名を聞いたことがあるであろうか。伝説的演武だが、今日まで語り伝えられるとは、さぞ素晴らしい演武であったに違いない。名称からして、飛び蹴りを主体として構成された演武と想像がつく。飛び蹴りは基本形にあるが、単型である基本形を加えると演武の発想が広がる。前述したが、基本技の中には宙返りもあるし、法形の中には圧法、縛法、締法などもある。これらを『手引き』では特殊型と分類する。初期の教範から最終発刊の教範を見比べてみると、技法が増えたり、消えたり、変わったりしている。つまり、技法は修正しながら発展して来たものであり、特殊型を含む法形も同様である。
将来、新しい視点からの創造型演武というものも考えられよう。しかし、武道の型は舞踊ではない。武道の型が型たる所以は、殺傷辞さずの危険な場面において、守りや倒しに有効な技法であったから今日に伝わったのである。この点、少林寺拳法の法形は、荒法師であった開祖の実戦体験や、戦後の混乱期、先輩方による「第三お神楽」と呼ばれた喧嘩体験を経て追試(?)されているのでより実証的である。その上で、中国武術を含む各流の型を護身用や逮捕用や格闘用や習得用に研究、再編、あるいは創造したものが武技的側面の少林寺拳法の法形なのである。したがって今後、武的な意味での創造演武、ないし法形創造に類するたぐいは、時代背景が異なり追試が出来ない分、限りなく殺陣に近い。ただし、一本背投げ、肩車、飛び二連蹴り、飛び蹴り等々の若人向きの身体操作を目的とした創造型は、指導意図が行き届くことを条件に考えられる余地はあろう。
私達は法形を大切にしなければいけない。法形は少林寺拳法と拳士の財産である。正しい法形の理解と習得が少林寺拳法演武の大前提である。調律されていないピアノではいかなる名演奏者といえどもお手上げであり、いかなる名曲と言えども駄作になるのである…。
⑨衆敵型、法器型
最初に述べた通り、組み手主体の徒手二人演武のみを対象とするので言及しない。
以上、分類してきたが、これ以外にも考えられるであろう。しかし、ここまでに止め、各自、実際に組んだ演武を、これまでの分類法を用いて比較、検討してみよう。