Ⅱ考察編
■武道の型と演武
空手の型は拳の名手の得意技が型となったものであるという。武道、武術の型はそういう名人達人の技法が凝縮して伝承された、いわば文化遺産的身体操作であり、武道本来の技は非常に高度な術理(科学)と殺伐さを有している。また、武道の技は威力強大故の秘密性、後継者の問題、時代の変遷などにより、たえず失伝する危険があった。そこで型(カタ)という形式にして、まず師の形(カタチ)を正確に写して=コピ-して伝承した。本来は技が伝承目的であり秘伝であったが、必然的に型も秘伝となった。ある流派は単独型に、ある流派は相対形に、ある流派は伝書と併用の形式をとり、最後の一手は口伝とされた。しかし、実際の殺傷に使用されない技と型の伝承は困難のはずであり、形式化や競技化が起こったとしても、致し方ないことである。
開祖は拳技の行く末を悟ったのであろうか。あるいは、嵩山少林寺白衣殿の壁画が武道、ないし型に対する発想を転換させたのであろうか。秘伝であるはずの型、つまり、法形を演武(自由組演武)という形式にして全拳士に解放してしまった。さらに、習得する技には“教育”という別の目的を与えた。ここがこれまでの武道と決定的に違う。少林寺拳法は演武により、型稽古や乱取り稽古を主体とした従来の武道と、技と型の価値観が全く異なった。すなわち、技と型を楽しむ、表現する、創造する、開祖曰く“道楽”という境地を提唱し、武道修行は苦行ではなく、楽しみを伴った新しい道となった。さらに進んで技の習得場、道院は教育の場となった。武術や既存武道の枠を越えた開祖の境地は、まさに革命的であったと言える。
■武道の目的と技の性格
現代における徒手格闘としての武道修行の目的は、おおよそ次の様であろう。
① 競技スポ-ツとして勝敗を求める。
② 格闘術として強さを求める。
③ 護身術として強さを求める。
④ 武道として修行の意義を求める。
⑤ 文化として伝承に意義を求める。
⑥ 運動の手段として健康を求める。
などが考えられ、それぞれ重複する。傾向について簡潔に述べると、①は寸止め、防具などで身体の安全を考慮する。どちらかと言えばアマチュア競技的傾向である。②は直接打撃するなど、身体の安全を考えない。どちらかと言えばプロ競技的傾向である。③は一般的な武道入門の動機である。④は精神的強さ、肉体的強さなどを含む行的な取り組みである。⑤は古武道修行者に見受けられよう。⑥は武道の種類、修行法に制限があろう。いずれにせよ、技の性格は修行目的により異なることは了解出来よう。そして、現在は武道の技を使用する社会状況ではなく(特殊職業、あるいは、治安状況が異なれば別であるが)、少林寺拳法とて例外ではない。
開祖は法形や演武によって習得した技を「人を教育する為に使う」と言われる。各武道でも教育という現象は先生と門下生の間で自然発生するが、教育を始めから技の習得目的とする武道は少林寺拳法以外にない。少林寺拳法が急速に普及していった要因である。では、何を教育するかという問題について言及すると、『手引き』が教義の方向に行ってしまうので機会を改めるが、日々の聖句信条の唱和から教えは明らかである。
■武道の型と法形
法形は武的には技を習得する為の手段である。この意味では他武道の型の効用も同じであり、単なる相対形ならば大きな特徴とはならない。身体動作にしても、それぞれの流派が型の合理性を主張し、経絡経穴は用いられ、技の内容、術理は各流派が様々に伝承している。そして、型に含まれる術理は奥が深く、誇り高く、よく日常の知恵となり、日常の知恵はまた術理となる。「当て身の五要素を日常に生かせ」と開祖は常々拳士を訓育された。しかし、ここまでは武道の型と法形に、おおよそ共通する事柄であろう。法形の最大の特徴は、武道の型は技法的な意義を最優先に伝承されたが、少林寺拳法の法形は拳禅一如の教義通り、教えが術理と同格の意義を持って身体動作として伝承された点にある。法形たる所以である。法形とその動作、所作に内包される教えとは、
① 結手構え相対
② 八方目相対
③ 合掌構え相対
④ 相対に構える
⑤ 残心相対
⑥ 守主攻従相対形
⑦ 不殺活人相対形
⑧ 剛柔一体相対形
⑨ 組手主体相対形
①結手構え相対
結手構えは通常人の利き腕である右手を下に結ぶ。つまり自分から先に手を出さない不戦、忍耐の心構えを養い表現する。演武においてはこの時点で間合いが決まってないといけない。
②八方目相対
八方目はとらわれのない目で対象を観ることを養い表現する。また、目つきについては、演武者はキョロキョロさせたり、ことさらに恐ろしげな目つきをしないようにする。よく練習をしていなければ、目に自信が表れない。
③合掌構え相対
合掌構えは人を尊重し、和する心を養い表現する。人間関係における己の立場を理解する。特に演武においては、相手と「よし気を合わせて、やるぞ」という気構えを養い表現する。また、拳士の礼式は威儀ある礼を理想とする。
④相対に構える
構えは大きな気合い(最終的には無声になると言われるが)を掛け、千鳥に受けながら退がる。大きな気合いは肝を練り勇気を養う。千鳥に受けながら退がることは守主攻従の動作を養い表現する。
⑤残心相対
武道においても、日常においても大変大事な教えであり、心構えである。法形における固めが決まった状態からの当て身は、止めではなく、残心の教えなのであろう。
⑥守主攻従相対形
自分から先に手を出さない心構えと技を養い表現する。受けて立つ気構え、勇気を養い表現する。
* 守りと攻めに関して“柔ちゃん”こと田村亮子選手の面白い話がある。彼女の得意技は“双手刈り”と“朽木倒し”だそうだが、実はこの技は、ライバルの中国人選手の得意技であったという。防御を研究している内に得意になり、最近のライバル選手との対戦では、逆に、相手の得意技である朽木倒しで勝利したと言うのである。〈平成8、3、31、放映〉。我々には当たり前であるから気付きにくいが、守りの技を磨くことは攻撃技も同時に磨くことになる。反対も同様であろうが、それなら、守りの発想から技法を習得する守主攻従の方が、宗門の行たる少林寺拳法として心理的ストレスがない。大変優れている考えと形だと思う。
⑦不殺活人相対形
相手を傷つけない心構えと技を養い表現する。守者制圧形を理想とする。前述したが、少林寺拳法では技の性格が違う 。
* 中野先生の目打ちの指導を受けて驚いた。効果と在り方、両用からの拳技を正しく体得されており、まさしく、宗門の行としての拳を具現し、伝承されている。殺傷を目的とした武技は必然的に失伝するが、活人を目的とした拳技は、道を求める拳士がいる限り発展してしかるべきである。先生の御理解を得て、機会を改めて技法編として紹介したいと思っている。
⑧剛柔一体相対形
偏りない心と技を養い表現する。たとえ相手が殴り蹴りかかってきても、傷つけず制圧出来ることを理想とする。
⑨組手主体相対形
お互いに技を掛け合う。修行相手に対する思いやりの心を養う。思いやりの心とは愛に立脚した慈しむ心と、力に立脚した悲の心でもある。良い攻撃技は良い防御技を習得させる。良い防御技も同様である。敵としてではなく、共に上達するパ-トナ-という心で、段階に応じた真剣な攻防技を交換するのである。
以上である。すでに何度も耳にした言葉であるので簡略したが、拳士は、このような拳禅一如の法形のシステムであるから、教えを学んで行ける体質が出来上がるのである。単独型、殺傷の型、試合形式、どれも少林寺拳法と適合性があるとは思えない。また、よく問題になる乱取りも、少林寺拳法の本当の演武を行い得た上での話であろう。
■結論
このような内容を持つ法形によって組み立てられた演武も、誰にでも行える様に解放されたが故の問題が生じた。それが、殺陣と隣り合わせになってしまうことなのである。殺陣様の演武を行う最大の弊害は、演武を行う度、お互いに偽りの心が生じてしまうことにあろう。そのような演武を幾度となく繰り返すと演武を軽視し、法形を軽視し、技を軽視するようになる。結果、技から離れ、乱取りに走ったり、競技の成績のみに重点を置くようになる。これでは修行者の最初の目標にして最終の到達目標である、「己こそ己の寄るべ…」という境地には到底至れまい。演武を行った後の爽快感、連帯感、充実感は真剣な演武を行って初めて体得出来る尊いものであり、まさに、動禅である。是非とも正しい理解を望むものであるが、これまでの考察からまとめると、演武とは、
「拳禅一如の修行により、各自が最大限に仕上がった法形・技を組み立て、かつ、自分と相手と気を合わせて少林寺拳法を表現したもの。」
と結論づけられる。静と動が織りなす少林寺拳法の演武は芸術的な美しさを感じさせる。芸術とは自己の表現であり、少林寺拳法の表現とは、宗門の行としての拳の表現である。それは、とりもなおさず、修行者としての自己の境地の表現に他ならない。開祖は「般若心経の境地にならなければ本当の演武は出来ない」と言われたことがある。拳士として、生涯に一度でよいからそのような境地で演武したいものである…。
以上 〔あとがき〕
3年前から大学支部の監督を引き受けました。各々については挙げませんが、道院とは異なる問題が色々発生します。また、若者だけの支部が陥りやすい落とし穴もあるようです。修行に費やした貴重な青春の時間に悔いを残さぬよう、そして、少林寺拳法の大切な修行手段である演武を正しく理解する手助けにと願って、この『演武の手引き』を作成しました。内容については、今回の『手引き』を骨子として、今後、さらに発展したものをと望んでおります。したがって、気が付いた点や、有益な御指摘があれば、こだわらず修正します。諸先生、諸先輩の御指導を期待しつつ、より良い『手引き』の完成を約し、ひとまずバ-ジョン1としておきます。
なお、本考察は、特に、私が三十歳代後半になってからの中野益臣先生の講習会・御指導による賜であることを述べ、改めて先生に尊敬と感謝の意を表します。
合掌
1996年4月15日
横浜根岸道院長・横浜市大医学部支部監督
准範士六段 渥美紳一