私は将棋、カメラ、パソコンを趣味としてきたが、最近、それに釣りが加わった。少林寺拳法はさておき、趣味歴が一番古いのは将棋である。将棋は中学から高校の半ばまで熱中し、≪王将≫という将棋クラブによく通った。教科書そっちのけで定石の本を読み漁り、「本と将棋を指しているみたいだ! 」と周囲の大人からは呆れられたが、この頃、良師と巡り合っていたら、私の人生は、あるいは違っていたものになっていたかも知れない。
次にカメラは開祖・宗道臣先生も趣味とされていたので、この影響からか、少林寺拳法の友人にはカメラの趣味が多い。私も81年、国際委員の任期にある時、本山から海外派遣されたのを機に始めた。ニコマートという中古の機種に50mmの標準レンズを付けて購入し、撮影した写真が月刊誌に掲載された時はうれしかった。近所にキャノンのカレンダーを撮るほどの写真家がおり、写真の基本と“光を写す”ことを、最初の段階で教えられたのは幸運であった。指導よろしきを得たからであろうか、海外向け少林寺拳法機関紙の前進≪合掌≫に、何度か私の傑作写真?が掲載されたのである。
パソコンと釣りは40歳を過ぎてから始めた。パソコンはアップル党であるが、仕事上というか、必要に迫られて始めた感が強い。その点、釣りは文句なく楽しい。“一猟(漁)、二女、三博打”なる言葉を初めて知ったが、まさにである。5年前から監督を引き受けた横浜市立大学医学部少林寺拳法部は、運良くと言うか、悪くと言うべきか、八景島シーパラダイスのすぐ近くにある。顧問の先生に挨拶に行った時のことである。同席された助教授は、鯛の手釣り専門という釣り好きで、その先生が、「釣りは悪魔の遊びと言われています。どうか、学生には教えないで下さい」と、金沢湾を一望出来る研究室で、切々と話されていたのが印象深い。
さて、趣味は“楽しみ”であり、仕事とは別の、アマチュアリズムが基本である。しかし、趣味を楽しむ多くの人々(種類にもよるが)は、プロに対する強い憧憬、“玄人はだし”になる願望を持っている。それが、自発的な努力となり、楽しみながら、時に、プロ顔負けのアマチュアが出現する。これを“趣味が昂じる”と言うが、非常に興味深い現象である。また、少林寺拳法・武道の修行(業)は“心身の鍛練”を目的とする。鍛錬は一般に厳しい、あるいは苦しいと認識されるが、開祖は創始当初から、そこに“楽しい”という概念を導入された。これは、若き日の先生が崇山少林寺に残る拳法壁画の前に立って、“楽しい修行法”の存在に気付かれたことに機縁するが、武道において、“苦よりも、楽から発揮される力”を重視されたのは、同じく非常に興味深いところである。
「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。」開祖が好んで口にし、我々拳士に語られた≪孔子≫の言葉が、今、私の心に大きく響くのである。
以上